きんぎょ全滅
2013-11-28
当社お客様感謝まつりにおいて、
縁あってうちにやって来たきんぎょたち。
うち以外でもたくさんのお宅で可愛がっていただいて
いると思いますが、元気かな?
うちにきたきんぎょたちはあれからまた他のお祭りで
きんぎょすくいをやり、その新たな新入りたちが
来た途端、からだ中が白い点々ができる白点病が蔓延し、
投薬をしましたがその対応も空しく全滅・・・。
なんで?という声も聞こえてきそうですが、
なかなか上手にできず、こんどはペットショップにて
またまた新入りたちを探しに行き、調達。
再度スタートしたきんぎょ飼育はまたまたゼロからのスタート。
我が家の餌やり担当はペットショップからもらってきた
「 みんなの人気者 きんぎょを飼おう 」と
書かれた薄いきんぎょ飼育のパンフレットを
読みながら、きんぎょたちにえさをあげています。
そのパンフレットの説明の中に
「 きんぎょのお部屋は宇宙船 」と書かれた内容がありました。
抜粋すると、
きんぎょのお部屋は池や川と違って、宇宙船みたいに閉ざされた空間。
宇宙船で生活しているとイメージしてみよう。
船内の掃除、空気の清浄、ゴミ捨てをしないと
生活できなくなってしまうよね?
とくに空気は大切なもの。これはきんぎょが生活している
お部屋も同じなんだよ。
きんぎょにとっては水が大切になるんだ。と・・・
なかなか上手な表現の宇宙船。
なんとか今度は長生きしてほしいと願いながら
「 きんぎょ死んでない? 」が
毎朝の日課になってしまっている我が家の餌やり担当。
新しいきんぎょ軍団たちが
長生きしてほしいと願う毎日がまた始まりました。(本社中野 HM)

幸せなワンちゃん
2013-11-27
以前のブログにも書いた大変可愛がられていたワンちゃんの話。
先日久しぶりにそのお客様宅に伺ったところ、
先月末に息を引き取ったという話を聞きました。
私がブログで取り上げたのが今年の2月28日ですので、
約8ヶ月以上に渡る介護の日々は、家族の総力を上げてのもので
それはそれは一言で語れるものではありません。
24時間に渡る介護は外出もままならず、それぞれの仕事や
生活の中で協力せずにできるものでありませんでした。
「 愛されている 」という実感と
「 愛している 」という実感は
無我夢中で駆け抜けている時には互いに中々気づきにくいもの。
しかし、飼い主であるお客様はここまでよくできたという
達成感に溢れていて清々しいものでした。
きっとワンちゃんも幸せを感じて旅立ったことと思います。
「 心を込めて逃げずに取り組む。」
そういった事を教えてくれたこの家族のワンちゃんへの愛。
本当にここまで中々できませんが、
何にでも一生懸命に取り組む姿を見せていただきました。
これまで介護に付きっきりで出かけられなかった温泉へのお出かけも
きっと天国からワンちゃんは見守ってくれていると思います。
(本社中野 HM)

絹糸がどうやってできるかご存知ですか?
2013-11-26
皆さん、こんにちは。
私が生まれた当時、実家には蚕室(さんしつ)と呼ばれる建物があったMYです。
大きな部屋の隅に、お蚕(かいこ)さんの寝床だった大きな竹製の平べったいかご?
が重ねられていたのを覚えています。
私が生まれる数年前まで、生糸を出荷していたそうです。
それは農家の仕事であったということ、須坂は生糸で栄えた町だということを改めて
思い出しました。
さて、先日、群馬県富岡市にある「旧 富岡製糸場」を見学してきました。
明治時代に全国初となる官営模範製糸場で、史跡・重要文化財に指定されています。
平成17年に富岡市が管理するようになってから、広く宣伝されるようになったので
名前を聞いた方も多いと思います。
私は明治時代に興味があります。(たぶん、漫画「はいからさんが通る」の影響
)

西洋文化が入り始めたものの、洋風の建物、着物、食べ物などが人々の生活になじむ
前の和洋折衷のこの時代、人々の憧れと驚きを想像するのが楽しいのです。
「富岡製糸場」もそのひとつ。
明治五年に建てられた、れんが造りの外壁とガラス窓。
日本政府から指導者として雇われたフランス人によって建てられたので、最先端の
当時では考えられないくらい瀟洒(しょうしゃ)な建物だったと思われます。
設計はフランス人でも、実際の建設は日本人大工があたり、れんがはフランス人から
手真似で作り方を教わった日本人の瓦職人が隣町で焼きあげたそうです。
当時の日本で、外国人がいることすら珍しかったでしょう。
通訳がいたことにもびっくりです。
建物の内もフランス流に大理石の暖炉、ソファとテーブルがある貴賓室。
工場で働く工女さん達も着物から袴、やがては洋装の上に、メイドさんのような
エプロンを着けるようになりました。
工女さんたちの勤務形態も、当時では珍しい日曜休業。
一日の労働時間も7時間40分と決められていました。今とほとんど変わらないですね。
月給は完全歩合制。
能力に応じて、ランク分けされていた上に、当時ではかなりの高給。
たくさん稼ごうと技術を向上させる工女さん達によって、日本の製糸技術が発達した
そうです。
また、当時では高校に進学する女子が少なかった中で、工場の中に学校を作ったのです。
二交代制勤務で、空いた時間は学校で勉強し4年かけて働きながら卒業できたのです。
当時の女子にとって、それは有り難い環境だったと思います。
そして、私が一番感心したのは、工場の機械を今の自動車メーカー、トヨタや日産が
製造していたということ。
今では世界に名を轟かせる日本の自動車メーカーが、ここから発展したわけです。
日本の産業の礎をここで築いたのですね。
当時の日本が海外に負けまいと、国を挙げて産業に力を入れた様子がよくわかります。
やがて日本は生糸生産量・輸出量ともに世界一になるのです。
血気盛んだった頃の日本。
人々の暮らしに少しずつ西洋文化が入り始め、大きく変化していく様を、実際に体験
できたらどんなに楽しいだろう・・・と想像すると、ワクワクします。
日本髪に着物のご婦人が多い中で、長い髪を下ろして、袴とブーツで自転車に乗って
いたら、注目の的まちがいないでしょう。
(はいからさんのイメージそのまま
)

パリコレなんてもんじゃないですね。
私の妄想はさておき、富岡製糸場は、140年の時を経た今でも当時の佇まいを
残しています。
文化遺産として、また産業遺産として、世界遺産登録を目指しているそうです。
興味のある方は、是非訪れてみて下さい。
タイトルに戻りますが、蛾が成虫になる前の身を守る繭(まゆ)からできる
なんて・・・蛾ですよ? 蛾からシルク・・・
好感度の差ありすぎ


(本社 MY)

年末年始の準備・・・・
2013-11-25
11月も最終週。
あと1週間で師走になりますが、中々そんな余裕もなく
バタバタしているのが現実です。
年賀状 ・ お歳暮 ・ 大掃除 等
やることは沢山ありますね。
毎年の事ながらついつい遅れがちになる年末年始の準備。
今年は落ち着いて新年を迎えられるように
慎重かつ準備万端でしたいものです。
昨年も同じようなことを書きながらも結局バタバタしてしまったように
中々うまくはいきませんが、気持ちだけでも少し早めに
進めたいものです。
さてこのHPをみていただいている皆様の準備のきっかけに
なればと密かに期待しております。
今年は巳年。来年は午(うま)年。
どんな年賀状のデザインにするか考えるのも
中々好きな私でした(本社中野 HM)

身体を張った仕事
2013-11-24
健康第一。仕事は身体が資本といいますが、
まさにその言葉通りの仕事「 プロレス 」を観戦してきました。
長野市のビッグハットで開催された試合は
テレビでもCMで流されていましたが、
ふとしたきっかけで観戦することに。
午後から始まったその試合は夕方まで途切れることなく、
続きましたが、最後のメインイベントの試合になるごとに
観客も増え、そして盛り上がった雰囲気を見ていて
人を魅了し、楽しませるということは並々ならぬ努力の上に
成り立っているのだなと思いました。
しかし、試合を見ていると当たりまえですが、
鍛えてないとけがするよ~の世界。
どんな形でもお客様やファンに喜んでもらうために
努力をしているなという姿を間近で見ることで
定番中の定番の場外乱闘なんかも「 大変だな~ 」と
妙に冷静にそしてお疲れ様という気持ちで見つめている私。
そしてリングに入場する花道に駆け寄る大勢のファンの動きを
見ながらみんな楽しんでるな~と冷静に見ていた私。
仕事ってやっぱり大変。 昨日は勤労感謝の日でしたが、
まさに「 お仕事お疲れ様 」にぴったりなお仕事だと思いました。
いろんなお仕事ありますが、まさに身体を張った仕事。
元横綱曙が防衛を果たした最後の試合が一番盛り上がりましたが、
相撲からプロレスに転身した彼の大きな大きな背中をみながら
やっぱり 「 大変だな~ 」の思い。
仕事って楽じゃないなと思わせてくれました(本社中野 HM)
